【畳マン六代目の徹底解説】畳の歴史と発祥を知ろう|日本文化を支える伝統的な床材の変遷

畳マン六代目
畳マン六代目

こんにちは、畳マン六代目です。
私は、創業170年以上続く老舗畳店「青畳工房」の六代目として、数多くの畳替えやメンテナンスを手がけてきました。
畳製作一級技能士としての経験から、畳は単なる床材ではなく日本人の生活文化そのものと深く結びついていると強く感じます。
ここでは、そんな畳の発祥から現代に至るまでの歴史的な変遷について徹底解説いたします。
畳がどのように日本文化の中で育まれてきたのか、その背景を知れば、きっと畳への愛着も増すはずです。


畳の始まりと「畳む」文化

日本固有の床材・畳の起源

「畳ってどこの国が発祥なの?」と聞かれることがありますが、実は畳は日本独自の文化です。
しばしば中国とのつながりをイメージされる方もいますが、畳という床材は日本で独自に進化を遂げました。

「畳む」から生まれた畳の原型

畳の語源は「たたむ」に由来すると言われています。
古くは薄手のムシロやゴザのような敷物を使い、必要に応じて広げたり畳んだりしていたのが始まりです。
現代でいう「置き畳」のように、持ち運びが自由なスタイルだったとも考えられています。
当時はまだ床全体に敷き詰めるのではなく、座具や寝具として部分的に利用されることが多かったようです。


奈良時代:正倉院に残る最古の畳

現存する最古の畳「御床畳(ごしょうのたたみ)」

奈良時代の遺品として、最古の畳が東大寺正倉院に所蔵されています。
これは、木製の台の上に筵(むしろ)を重ね、さらにい草の菰(こも)をかぶせたもの。
階級の高い人々が座具や寝具として使っていたようで、まだ一般的な床材とは程遠い形でした。

『古事記』『日本書紀』に見る畳の存在

奈良時代に編纂された『古事記』や『日本書紀』には、**「菅畳(すがたたみ)」「皮畳(かわたたみ)」「絹畳(きぬたたみ)」**といった単語が登場します。
これらは薄い敷物の総称だったとされ、畳のはじまりを示す貴重な記録といえます。


平安時代:貴族社会と畳文化の成立

寝殿造(しんでんづくり)と高貴な象徴

平安時代になると、貴族の邸宅である寝殿造が広まり、板敷きの床に部分的に畳を敷くスタイルが定着しました。
畳はクッション性や断熱性から高い身分の人ほど分厚いものを使い、身分差の象徴として機能していたのです。

『枕草子』にも記載される「たたみ」

清少納言による随筆『枕草子』には、「たたみ」という言葉が繰り返し登場しています。
貴族たちは快適さと美観、さらには高い身分を誇示するため、畳を愛用していたことがうかがえます。この時期にクッション性のある畳が登場し、今の畳の原型に近づいていきました。


鎌倉・室町時代:畳が部屋全体を覆う床材へ

書院造(しょいんづくり)の普及

鎌倉時代から室町時代にかけて、畳は単なる寝具や座具を超えて床全体を覆うスタイルへと進化を遂げます。書院造と呼ばれる新しい建築様式が生まれ、部屋の中央だけでなく四方に畳を敷き詰めることが普及していきました。
同時に、畳の縁(へり)や敷き方にも美意識が取り入れられ、格式や趣向を示すインテリア要素としての役割も高まりました。

茶道文化との融合

室町時代には、茶の湯が盛んになり、畳の上で茶を点(た)てる「茶室」が生まれます。
狭い空間に畳を敷き、そこに利休式のわび・さびの精神が加わることで、畳は日本人の美意識を象徴する存在へと発展しました。


江戸時代:庶民への普及と「畳師」の登場

武家や大名から庶民へ

江戸時代中期以降、経済の発展とともに庶民の生活水準も向上し、畳は武家や大名の住宅だけでなく町人の家にも取り入れられていきます。
部屋全体に畳を敷き詰めるスタイルが一般的になり、畳が日本人の生活空間を代表する床材として確立される時代となりました。

御畳奉行と畳職人

大名や将軍の邸宅には「御畳奉行」という畳の管理を担う役職があったほど、畳は大切に扱われていました。一方、庶民の暮らしでは、**「畳師」や「畳屋」**という畳専門の職人が登場し、畳の製作・修繕が盛んに行われるように。
これによって質の高い畳が大量に供給され、各家庭の和室文化が一層根付いていきました。


明治以降:洋風化と畳の多様化

西洋建築の波と畳

明治時代になると、欧米の文化や建築技術が積極的に取り入れられ、日本の住宅様式も大きく変化します。
しかしながら、和室には依然として畳が欠かせないものであり続け、和洋折衷の建築が生まれていきました。

現代の畳事情

高度経済成長期には洋室の普及とともに畳需要が一時的に減少したものの、畳の断熱性・防音性・快適性などが見直され、再び注目されるようになりました。
さらに、い草の代わりに和紙や樹脂を用いた畳や、縁無し畳、カラフルなデザイン畳などが登場し、現代のライフスタイルに合わせて進化を続けています。


まとめ:畳は日本文化そのもの

日本人の暮らしの変遷とともに、畳は座具や寝具の役割から、部屋全体を覆う床材へと進化してきました。
単なる床材ではなく、格式・美意識・実用性を兼ね備えた日本独自の文化として発展してきたのです。
現代でも、畳は和室の落ち着きとやさしい肌触りを提供し、多くの人を癒やし続けています。
畳の歴史を知ることで、日本の伝統文化がいかに豊かで、私たちの暮らしに深く根付いているのかを実感できるでしょう。

もし「畳を新調したい」「古くなった畳を表替えしたい」という方がいらっしゃれば、ぜひ創業170年以上の老舗・青畳工房へお任せください。
畳マン六代目として、あなたの和空間を最高の状態へと導くお手伝いをいたします。

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この記事を書いた人
畳マン六代目

創業170余年・青畳工房の「畳マン六代目」こと古賀隆夫。
古賀畳工業所から法人化し現在、正式な社名は「株式会社WT」であり、その代表取締役。
1982年生まれの畳製作一級技能士。

佐賀工業高校卒業後、3年間週1回の畳訓練校に通いつつ福岡県の中村製畳店にて弟子として修行。
その後ご縁があり山口県の荒川氏や奈良県の浜田氏など畳製作技術のスペシャリストの方々を師事することで通常業務では知り得ない技術の真髄を学ばせて頂く。

国産畳表を愛し、佐賀県最後のイ草生産者吉丸氏や、熊本県八代市のたくさんのイ草生産者さん達との繋がりを最高の財産だと考えている。

「中国産イ草を使わなければならないのであれば、その仕事はキッパリ断る」がポリシー。

時には伝統的な技術と新しいアイデアを融合し、家族が笑顔でほっとする空間作りを目指しています。

ありがたいことに地元佐賀や福岡のメディア取材多数頂いてます。
STS・NHK・ぶんぶんTV・FBS・FM佐賀・NBC・えびすFM・雑誌新聞等

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